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第7話 『帰国』 

2012年1月3日 沼田凖一

イスタンブールでは久し振りの休日を過ごしました、その上、命の洗濯をと云う事でパリで一日を過ごさせて頂くという粋な計らいをしてくれました。こんなにも平和で楽しい時を過ごすと、これは夢では、ないか、夢から覚めるのではないかと不安がちらっと頭をよぎりました。それならそれでいいや、この命は拾った様なものだから、そんな気持ちでパリでも思いっきり楽しみました。

夢の様に過ぎた2日間も終わり、いよいよ今日は日本へ帰る事が出来ます。人間これ程迄も変れ るものなのでしょうか。3日前までは不安と恐怖で押し潰されそうな重苦しさで先の事等考えられない程だったのに。

パリからの飛行機の中で、私は、五輪真弓の「恋人よそばにいて・・・・・」を繰り返し繰り返し何度も何度も聞いていました。あの時は何でも良かった、何はともあれ日本のものに触れていたい、そんな気持ちだったのだと思います。このカセット・テープは今も大切に私のCDラックの奥にひっそりと眠っています。

3月21日長い長い飛行機の旅の末成田に着きました、工場から出張してくれていた4名の家族の出迎えが有りました。出掛ける時は意気揚々と胸を張って出掛けたのに、意気消沈して今は何も言う事が有りません。ただ、今回の出張は結果として私が皆を巻き込んだ形になったので、ご家族の皆さんにお詫びを言わせて頂きました。

成田空港の時の事を振り返って仲間の一人は次の様に話してくれました。「私の妻は当時6ヶ月になった長女をかかえ出迎えに来てくれました。会社の総括の方が同行してくれていましたが子供が乳児だったので家から成田まで大変だったと言っていました。その他の皆さんもそれぞれ家族に会って嬉しそうでした。たしかMさんは新婚ではなかったかと思います。Aさんも奥さんが出迎えました。日本ではテヘランは戦火という報道がされていたので無事に帰って来た事を喜んで泣いているご家族の方もいました。」

私は「こんな結果になって本当に申し訳ないと心から思いました」ただ、幸いな事に全員が無事に日本に帰って来れた事、ご家族に元気なまま返してあげる事が出来た事、これは私達と行動を共にし、最後まで私達を助ける為にテヘラン中を駆け回り、在りとあらゆる手を尽くしてくれたN商社の皆さん、そして、日本の商社、日本大使館そしてこの人達の誠心誠意に応えてくれたトルコのお蔭なのです。

「さあ、家に帰って家族共々、生きている事の喜び、平和で有る事の喜びをかみしめよう」ようやく私は家に帰って来ました、でもイランで起きた事、トルコに助けられた事も含め詳しい事は一切話しませんでした。何故だろう「私の気持ちの中には、日本に見捨てられた自分が情けないという想い、家族にもその事を知られたく無いという気持ちが有りました」日が経つにつれて、少しずつはあの不安、あの恐怖は薄れては行ったものの心の傷は簡単には癒されませんでした。

会社に行ってもやはりこの事は言わずにいました。怖かったとか、不安だったとか言うのは男として恥ずかしい事だという気持ちが有ったからでした。だから結局、トルコが私達を命がけで助けてくれた事も言わないまま月日が過ぎて行きました。色々有ったけれど今はこんなにも平和で安心して生活が出来る、あの時の不安、恐怖を早く忘れたいそんな気持ちが支配していました。でも、今でもこの時の事を話すと涙が出て来てどうしようも有りません。

トルコ航空で助けられた翌日、ガラタ橋で平和をかみしめて

トルコ航空で助けられた翌日、ガラタ橋で平和をかみしめて

こちらの記事は、トルコ・イタリア・ポルトガル雑貨のオンラインショップ「JUNPERIAL SHOP」様がホームページで掲載されている、『イラン・イラク戦争 奇跡の救出劇「~日本・トルコ友情物語~ -沼田凖一さん編-」』から、店主のJUNKO様のご厚意により転載させていただいているものです。

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