2012年2月12日 沼田凖一
どうしてトルコが私達を助けてくれたかの真相を知らないまま23年が過ぎた2008年10月17日、つけっ放しのテレビに偶然目が行った時、そこに放送されていた番組は「世界を変えた100人の日本人」でした。私の目はそこに釘づけになりました。その内容は、私達がテヘランから助けられた95年も前の1890年に和歌山県串本町大島の沖合で台風に遭遇したトルコの軍艦「エルトゥールル号」が沈没し、581名の乗組員が死亡、69名が救出されたというものでした。
この時大島の人達を中心に献身的な救助活動をした事、当時、大島は必ずしも裕福ではありませんでした。その大島の人達は救助した69名の為に医師は治療費は取らず、村の人々は生活用品を集め怪我の治療や体力回復に並々ならない苦労をし、自分達の生活をも犠牲にしたという事でした。この大島の人達の献身的な救助活動の恩儀を感じていたトルコが、95年後の1985年3月19日、テヘランに取り残されて、身動きが取れなくなっていた日本人を救出する為に救援機を派遣して、トルコ人よりも優先して助けてくれたというものでした。
恥ずかしい話ですが、私はこの「エルトゥールル号遭難事故」の事を全く知りませんでした。1985年3月20日の日本の新聞では日本経済新聞が、「イラクの一方的警告の期限切れ直前、日本人二百十五人らを乗せた二機のトルコ航空機が緊張高まるテヘランのメヘラバード空港を飛び立った。エールフランス、ルフトハンザなど外国航空会社の特別機が次々飛び立つ中で、搭乗を拒否され続けた邦人がイラン脱出の最後の望みを託した?救いの翼?。」と辛うじてトルコの日本人に対して特別の対応をしてくれた事を報道。
その他の新聞は救出の事実だけを伝えているだけで、どうしてトルコ航空が日本人を救出したのかは触れていない。 3月21日になって一部の新聞は報道してはいるものの、“日本とトルコは「安部外相が一昨年、訪問したほか、今年前半にはエザル首相(オザル首相の間違い)の来日が予定されるなど友好関係が続いているが、日本側は「友好関係の成果」としてトルコの対応を評価している。“と上から目線の報道がされていました。この報道からみても多くの日本人は何故、テヘランからトルコ航空が日本人を救出してくれたのか、その真実は知らなかった様に思われます。
私はこれを機に、日本とトルコの関係を知りたいと思い色々な資料を集めて読みあさりました。そして自分がいかにエルトゥールル号の事故の事を知らないかを思い知らされました。それと同時に、特定の地域の人達がその歴史を必死に後世に語り継いでいた事が判りました。そうした、一部の人達の努力が私の命を助けてくれたのだと判り、何としてもその人達へ恩返しをしたいと思いました。それと併せて、テヘランの地獄の淵から私を救出してくれたトルコ航空の事を多くの日本人にどうしても知ってもらう為の努力をしなければいけないと思いました。