2011年10月25日 沼田凖一
イスタンブール・エタップホテル、そこは私達にとっては天国でした。つい半日前迄の地獄から救い出してもらい、今は天国にいるのです。
私は部屋に荷物を放り投げる様に置き、そそくさと皆のいるストランに向かいました。テーブルを囲むどの顔も喜びと安堵感で晴れ渡っていました。さあ乾杯「イラン戦友会」の結成です。
ここからは、誰も彼もが浴びる様に飲みました。皆生きている事の喜びを噛締めながら。私も後にも先にもこんなに沢山のアルコールを飲んだ事は有りません。先ずはビールで乾杯、そしてトルコのワイン、その他手当たり次第でした。
朝気が付いたらベッドに寝ていました。どうやって部屋に帰って来たのか、どうやってベッドに寝たのか全く記憶が有ません。しかしここはまぎれも無く、トルコ・イスタンブール。
ゆったりと朝食を済ませイスタンブール観光に出かけます。見るもの聞くものみな平和で楽しい、この私達の命の恩人の国、でも良く知らない土地だけど思う存分羽根を伸ばそう。皆と一緒に近くを歩きまわりました。
気がついたら川の様な所の近くに来ていて橋が掛っています。何か大型トラックが渡ると壊れそうな橋です。そんな橋を見ても唯もう嬉しいんです。今日はもう何の心配もしないで思いっきり喜びをかみしめよう。そして明日はパリ経由で日本へ帰れるのです。
暫くイスタンブールの街の中をぶらぶらしていて気が付いたのは、トルコの人達は皆私達に笑顔を向けてすれ違う。トルコの人達はどうしてこんなにも私達に優しいのでしょうか。(この疑問を23年後の2008年10月17日に知る事となりました)
イラン人もまた優しい人が多かった。私達がテヘランに取り残された事を本当に心配してくれたし、一生懸命私達が被害に合わない様に気を使ってくれました。でも、イラン政府は日本人をイラン国外への救出はしてくれませんでした。 トルコもイランも同じイスラム圏では有るが政府が全くと言って良いほど違う。トルコは政教分離なのに対して、イランはイスラム教政府なのでイスラム教のトップが最高指導者となっているのです。然もこの人が言う事は絶対で誰も異を唱える者はいないのです。私にとってのイランは友達も多いし思い出の多い国ですが、トルコは私の命の恩人です。
海(ボラポラス海峡?)が見えて来た、沢山の船が行き駆っている、何と平和なんだろう。ここ、イスタンブールは自然が多く木々は生い茂り、直ぐ近くには海が見られました。という事は、さっき川の様な所と思ったのは海峡なのだろうか。 ああ、私達はこの国に助けられたんだ、何と幸運なんだろう。この事は一生忘れてはいけない、そう深く心に刻み込みました。このトルコに命を助けられ、「イラン戦友会」を結成する事になったのはこの上ない幸せな事に思いました。