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第18話 『日本トルコ友好120周年記念事業「テヘラン空港からの脱出」』

2014年6月1日 高星輝次

2010年6月4日、日本トルコ友好120周年記念事業に参加させていただいて3日目となりました。5年ごとに行われるこの殉難将士慰霊式典は雨になることが多いと聞きましたが、今回はここまでずっと快晴に恵まれています。

今日は朝のうちにレンタカーで名勝一枚岩や海中公園を観光させていただき、その後、昨夜に続いてNHK和歌山の取材を受けることとなっています。さらに沼田さんは夕方のパネルディスカッションに向けた打ち合わせが入り。私の方はもう一人のイラン戦友会の参加者を待って樫野崎を案内することとしていました。 午後には3人で串本町田嶋町長を表敬訪問し、夕方にはパネルディスカッションに参加させていただきます。

NHKの取材は快晴の樫野崎でトルコ記念館や慰霊碑の前で救助された当時の思い出を語る形で行われました。

昼近くに到着したもう一人の参加者服部氏は感慨深く殉難将士の慰霊碑に両手を合わせていました。

そして3人で合流して、串本町役場を訪ね田嶋町長を表敬訪問させていただきました。実に気さくにいろいろとお話をしていただけました。今回の日本トルコ友好120周年記念行事への招待に感謝し、改めて串本町ふるさと納税を納めさせていただきました。

夕方になって串本町文化センターでは日本トルコ友好120周年シンポジウム 「テヘランからの脱出」が開催されました。

最初に17時45分から串本うしおコーラスグループによる合唱が行われました。

続いて、基調講演として、当時伊藤忠商事イスタンブール支店長でトルコ共和国オザル首相と深い関係を持ち、邦人救出の救援機派遣に尽力していただいた 森永 堯氏がお話をされました。

時のオザル首相と親交が厚いとはいえ一民間企業の支店長が一国の首相に対し邦人救出のための救援機の派遣を要請するようなことがありうるのだろうか。そもそも、地理的にトルコはイランに接しているとはいえ、危険を冒して日本人を救出する理由もないわけであった。

それでも日本の本社からの要請に従いオザル首相に救援機の派遣を要請してくれた。意を決してオザル首相に電話をした森永氏に対して、オザル首相はしばらくの沈黙の後「わかった、心配するな。親友モリナーガさん。あとで連絡する」と言ってくれたという。それでもこの国では往々にして「メラーク エトメ(心配するな)」といっても結局うまくいかずにということは起こることを散々体験している森永氏は心配したという。その後やっとオザル首相から電話が入り「ハイレッティム(全てアレンジした)心配するなモリナーガさん」と言ってくれたという。

このときテヘランには600人を超すトルコ人ビジネスマンがいたという。自国民には、はるばる3日もかかる陸路を車で避難させておいて、自国民より日本人の救出を優先させたのである。このようなことが日本でできるだろうか、日本で許されるだろうか、森永氏はトルコのマスコミの報道や野党の動きを警戒していたという。

自国民を粗末に扱って日本人救出を優先させたオザル首相のスキャンダルにもなりかねない大英断であったからだ。ところがそのことは森永氏のまったくの杞憂で誰も問題にしなかったという。

何という度量のある国民であろうか・・・・(森永氏の講演内容及び、氏の著書「トルコ世界一の親日国」明成社刊より引用)

シンポジウムの第2部はパネルディスカッション「今、何故、映画エルトゥールル号なのか?」が開催された。 パネルディスカッションの冒頭、わがイラン戦友会代表の3名(沼田さん 服部さん、高星)は串本町の皆様に、皆様のお先祖様の尊い行いによって1985年に戦火のテヘランから助けていただいたことにお礼を述べさせていただいた。

以下に代表して沼田さんが話した内容を記載しておく。

*****串本町の人々へのお礼の言葉*********

ただいまご紹介をいただきましたイラン戦友会の服部、高星、沼田です。

この場をお借りしまして皆様にお礼を述べさせていただきたいと思います。

私達は今から25年前にイランに仕事で出張していた時、くしくもイラン・イラク戦争に巻き込まれ、窮地に立たされました。その時私達を助けてくれたのは日本ではなくトルコでした。どうしてトルコに縁もゆかりも無い私達をトルコの飛行機が命がけで助けてくれたのか、それは皆さんはよくご存知の1890年の「エルトゥールル号遭難事故」の時に串本町の人たちをはじめ、近隣の多くの人達がエルトゥールル号の乗組員に献身的な救助活動をしてあげたからなのです。

当時、イランに取り残された私達日本人を何とか脱出させなければと、在イラン野村大使・大使館員、商社の方々などが懸命に関係先にお願いしたのですが、日本政府も、外国航空会社も受け付けてくれず、万策尽きた野村大使、大使館員、商社の方々、そしてトルコに駐在していた日本の商社の方々は最後の望みとトルコにお願いしてくれたのです。

トルコ人達は100年近くも前のエルトゥールル号の時のことをよく覚えていて、串本町で受けた恩を返したいという人達の思いが100年の歳月を超えて1985年に私達を救ってくれたのです。

私達がこのエルトゥールル号の事を知ったのは今からわずか1年半前でした。それ以来、串本町の皆様や関係した方々に直接お礼を言いたいと思い続けてきましたが、この度、その機会をお与えいただき本当にありがとうございます。

串本町の皆様、関係者の皆様が尽くした真心が私達を助けてくださいました。感謝しても感謝してもしきれないそんな気持ちです。この気持ちを言葉にするとなんとなくそっけのなくありふれた言葉しか思い浮かばなく、私達の気持ちを伝えきれないもどかしさを覚えますが、この言葉しか見つかりません。

本当にありがとうございました。

************************

お礼の言葉を述べる沼田さんはもちろん、服部氏も私も涙をこらえきれない状態でした。

パネルディスカッションでは、この素晴らしい博愛の史実を広く後世に伝えたいという田嶋町長の思いと、それを受けて映画化を検討してくれている町長の大学時代の友人の田中光敏監督の熱い思いの伝わる内容となりました。

最後のQ&Aセッションで一人の町民の方より意見が述べられました。

「1985年のテヘランからのトルコエアーに依る邦人救出の話は散々聞かされてきました。その中でその人達は、エルトゥールル号の事を知っているのか?串本町に来たことはあるのか?どのように感じているのか?ずっと疑問に思っていました。今日、当事者の方の話が聞けたことは本当に良かったと思います」

私達の不勉強により、命を助けていただいていながら串本町の皆様への感謝の気持ちを伝えるのまで25年も経過してしまったことを恥じ入るばかりでした。

パネルディスカッションを終了し、3人+1人(私の妻)で串本町のおいしい魚料理で「イラン戦友会@串本」を開催させていただいたのは言うまでもありません。

翌6月5日も快晴に恵まれレンタカーで、那智の滝、熊野古道などを観光させていただきながら、南紀白浜に向かいました。

白浜について浜辺などを見学し、レンタカーも返却し空港のレストランでこの4日間を振り返り、ビールで乾杯しました。

25年前のテヘランからの救出劇から、今回、救出のきっかけともなった串本町を訪れることができて、日本トルコ友好120周年記念事業にもたくさん参加させていただき、私達の心の中で何か大きな一区切りができたと感じたのは私だけでなく、沼田さん、服部さんも同じ思いであろう。

2010年6月 田嶋町長を表敬訪問したイラン戦友会の3人(左から 高星 服部 田嶋町長 沼田)

2010年6月 田嶋町長を表敬訪問したイラン戦友会の3人(左から 高星 服部 田嶋町長 沼田)

こちらの記事は、トルコ・イタリア・ポルトガル雑貨のオンラインショップ「JUNPERIAL SHOP」様がホームページで掲載されている、『イラン・イラク戦争 奇跡の救出劇「~日本・トルコ友情物語~ -高星輝次さん編-」』から、店主のJUNKO様のご厚意により転載させていただいているものです。

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