やっとトルコの人に直接感謝の気持ちを伝える事が出来ました。そこで今度はトルコが日本に対して強い親愛の気持ちを持つ様になった原点とも言える、エルトゥールル号遭難事故の時に献身的な救助活動をしてくれた串本町の人にお礼が言いたいと思い連絡を取ってみました。
この頃丁度「ふるさと納税制度」が発足した時で、串本町では「串本町ふるさとのまちづくり応援寄付」制度をスタートさせたところでした。この制度に寄付をさせて頂ければ、トルコとの友好関係の促進に役立てて頂けるのではないか、学校の教育や文化の振興に何かしら役立てて頂けるのではないかと考え寄付を申し込みました。
この寄付が、たまたま、「串本町ふるさとのまちづくり応援寄付」制度の第一号の寄付となった事から、地元で大きな話題になり新聞社からの取材申し込みが有りました。電話での取材という事になり、串本町役場の会議室に町長はじめ、各新聞社の記者の方が集まり取材が行われました。私は1985年当時の状況や心境を話しました。
そして、エルトゥールル号遺品発掘調査の為に来日されていた団長のトゥファン・トゥランルさんにお礼を言わせて頂きました。この内容が翌日各新聞社から報道されました。私としては命の恩人への気持ちとして、少しばかり寄付させて頂いたのに、地元の人達からは逆に多くの感謝の言葉を戴きました。
この様に互恵の精神の豊かな地域とトルコという国の間に強い繋がりが有った事で私は生きて日本に帰って来る事が出来たと改めて実感する事が出来ました。何というやさしい心を持った人達だろうか、私はただただ感激してしまいました。本当に、本当に有難う。この人達には私は一生感謝の気持ちを持ち続けて行きたい。
そして、2010年、日本とトルコの友好関係が始まって120年という大きな節目の年にあたり、串本町は「日本・トルコ友好120周年記念事業」を企画されました。この事業は5年毎に行われていたとの事でした。この一大イベントの中に、トル航空によるテヘランからの日本人救出劇の時の体験談を話してもらう企画が検討された様でした。それに私をという話になって依頼が有りました。
これは私にとっては、串本町の皆さんに直接お礼が言えるチャンスを戴いたと思いました。しかし、テヘランからトルコ航空で助けて頂いたのは、我々イラン戦友会のメンバー10名を含め215名だった訳で、私一人が参加するので有ればどうも趣旨とは違うのではないかと考えました。そこで、串本町の実行委員会にイラン戦友会のメンバーで出席出来る人を何人か出席させて頂けないかと相談させて頂いた所、実行委員会からはそれで良いとの御返事を戴きました。
これで、215名とは言わないまでも、何人かの人が串本町の皆さんにお礼を言えるチャンスを頂けたと思い、串本町には参加の意を伝え準備に入らせて頂きました。しかし、私を除いては全員現役の会社員もしくは経営を担っている人で10名全員とはいかず、結果として3名が出席という事になり、2010年6月4日串本町文化センターに於いて感謝の言葉を言わせて頂きました。
私は何と幸運なんだろう、215名が救出して頂き夫々に思いが有るだろうに、私はこうして串本町を訪れ、串本町の皆さんに直接感謝の気持ちを伝える事が出来た、この事は私の生涯にとってどれ程大きな意味を持っているものか計り知れない、そんな気持ちです。
これで悔いを残さないで人生を終える事が出来る、そう思いました。