2014年1月26日 沼田凖一
2010年の日本・トルコ友好120周年から2年が過ぎて2012年、どうしても、自らの力で直接トルコに恩返ししたい、そう思って自分を振り返ってみると、何にもない自分に気付かされました。でも何かないか、そうだ私には唯一、41年間仕事で培ったプレス金型関係技術者としての経験が有る。これをトルコに役立てる事が出来ないか。
可能性が有るか無いかは、トルコに行って自分の目で確認する事がどうしても必要だとの思いに至りました。ならば、何としてもトルコの自動車会社とコンタクトを取らなければいけない。でも、私がこれ迄に出会った人達の中でトルコの自動車会社と関係の有る人はいませんでした。
そんなある時、運良く以前から知人を通してお知り合いの、トルコ・レストランのオーナーにお会いする機会が有り、その話をしましたら、トルコ大使館の商務部参事官と大変親しいという事で、その方を薦めて頂きました。早速、思い切って在日トルコ共和国大使館に相談させていただきました。そうしましたところ、トルコ大使館商務部参事官が直ぐに相談に乗ってくれるという事になりました。
トルコ大使館を訪問し具体的な計画を相談させていただきました。この時点で私としては、もしトルコを訪問する事が出来るので有れば、テヘランからトルコ航空で救出してもらった1985年3月19日と同じ日の、3月19日に、日本を発ちトルコ航空でイスタンブールに行く事だけはどうしても実現したいと思っていました。あとは現地の受け入れてくれる会社の都合で日程、内容を決めて頂く事でトルコ大使館に調整して頂きました。
お陰で、計画通り3月19日成田を出発し、その日の夕方イスタンブールに到着です。27年前は地獄の淵から、「九死に一生」を得て生還した天国、イスタンブールです。改めてあの日の想いをひしひしと感じながら、ああ、三度イスタンブールの地に立つ事が出来ました。
イスタンブール・アタチュルク空港のロビーに出ましたら、出迎えの方が待っていてくれました。トルコ・ウルダ輸出業者協会が手配して下さったという事でした。何というお心遣いでしょうか。この日はイスタンブールに宿泊です。
翌日朝、トルコ・ウルダ輸出業者協会が手配して下さった方がホテルまで迎えに来てくれて、そのまま車でフェリーを使いブルサに連れて行ってくれました。何から何までかゆいところに手が届く様な、まさにあの、「トルコ航空によるテヘランからの日本人救出」の時の心くばりを彷彿とさせるものでした。
そして、更に驚く事に、トルコ大使館が調整をして下さったトルコの自動車部品会社は、私が全くのプライベートでの企業訪問であるにもかかわらず、企業機密に当たる部署の隅から隅まで見せてくれ、なお且つ関係協力会社に連れて行ってくれて、そこも隅から隅まで見せて下さいました。
この時強く感じたのは、一人の人間の力は何と小さい事かということ、そして何かをしようとするとこんなにも多くの方々に支えていただいてしまうという事でした。これで本当に恩返しをする事になるのだろうか。
でも、ここ迄来てしまった以上立ち止まっている訳には行きません。今回、多くの方のお世話をいただき、トルコを訪問させてもらったのだから、私に出来る恩返しは、私が経験したプレス金型技術をフルに活用して、トルコの部品メーカーが持っている技術を如何にレベルUPし、ヨーロッパやアジアと競争出来るレベルになれるか、その為の提案をさせてもらう事だと思いました。
その事が、テヘランからトルコ航空で救出してくれたトルコ、そして、今回また私の為にほねをおって下さった、トルコ大使館、トルコ・ウルダ輸出業者協会、部品メーカー、支えて下さった多くの方へのご厚意にお応えする事になると信じて・・・。