2017年10月23日 高星輝次
2014年という年は、1月7日に沼田さんとともにトルコのエルドアン首相(当時)に会うという、すごいサプライズで始まりました。
2月には尚美学園の卒業制作の展示会にも招待され、当時の様子などをお話する機会をいただきました。2月22日には、和歌山市で開催された、エルトゥールル号の海難事故を映画化するための、PRのための講演会が開催され、田中監督の講演会に私もテヘランでの体験などを話す時間をいただきました。
冒頭NPO法人エルトゥールルが世界を救うの浦会長が挨拶をし、「1890年の和歌山でのええ話、1985年のテヘランでのええ話、この話をみんなが知って、困っている人には見返りを求めず手を貸す精神が世界中に広まったら・・世界平和が実現できる」と熱く語っていただきました。
田中監督の講演は、聞く人をぐいぐい引き込み、映画作りの裏話や、苦労話を面白可笑しく話してくれました。
特に大学の同期生である、串本町の田嶋町長との関わり、「串本にはええ話があるで、ええ話だろ」と熱烈なラブコールをされて、前作品のPRに来たつもりが、エルトゥールル号の海難事故の映画化を既成事実にされてしまったと、笑い話のように話てくれました。
1月のエルドアン首相来日の時も、安倍首相―エルドアン首相会談に東映の社長とともに出席し、「何か困っていることはないか」というエルドアン首相の言葉に「映画は資金がかかります」と言ったところ、全面的なバックアップを約束してくれた話なども聞くことができました。
そして私も、テヘランでの空襲から、トルコエアーでのテヘラン脱出までの体験を紹介させていただきました。
同じく、2月22日は、私たちを救ってくれたオルファン スヨルズ機長の一周忌イベントが串本町で開催されておりました。 こちらには沼田さんが出席と、二つの大きなイベントに手分けしてかかわることができました。
6月22日には、在日トルコ大使館で開催されたチャリティバザーにも参加させていただきました。これは5月13日にトルコ西部のソマで発生した炭坑事故で301人が亡くなる事故が発生しました。その被災者救援のチャリティバザーとなりました。沼田さんと私も参加させていただき、わずかながら寄付をさせていただきました。また、会場で新聞記者の取材にあい、翌日の新聞にも取り上げていただきました。
9月4日には、自称アマチュア音楽家の向山精二さんが代々木のNHKホールで、トルコ国交90周年記念コンサートを開催した。彬子女王殿下、オルファンスヨルズさんの奥様も会場に来てくださり、司会は宮崎緑さんというすごい皆様にお会いすることができました。例によって、沼田さんと、私は1部と2部の間にステージに上がらせていただき、当時の様子を報告させていただきました。
そして年は2015年になり、1月23日には、映画撮影の現場を見学させていただく機会を得ました。
1月23日から二泊三日で串本を沼田さんとともに尋ねました。
まずは、樫野崎に行き殉難将士の慰霊碑に手を合わせるところから始めました。そして、海難事故のあと傷着いた兵士たちを救助する場所となった、大龍寺を見学させていただきました。
樫野崎灯台では、説明員をされている女性の方とお話をさせていただき、エルトゥールル号の時に樫野の皆様が必死の救助をしてくれたおかげで、95年の歳月を経て、戦火のテヘランからトルコエアーによって救助された216名のうちの2人であることを話しました。その方は、聞き知った話で、テヘランの邦人救出の話も紹介させていただいていますが、当事者に会えるとは思っても見ませんでした。自分が紹介していた内容に誤解がなかったかなど、当時の様子を大変熱心に聞いてくれました。
さらに、遭難した人々の介抱に大龍寺だけでは足りなくなり、一部の方には大島漁港近くの蓮生寺にて養生をしていただいたという、蓮生寺も見学させていただきました。この大島漁港は、快復したエルトゥールル号の兵士たちがドイツの艦船で神戸に向け樫野を離れた港でもあるようです。そして神戸からは、比叡・金剛の2隻の軍艦によって兵士たちをトルコに送っていったわけです。
エルトゥールル号の海難事故で負傷した兵士たちを献身的に救助・治療を行った樫野の医師3名に対して、兵士たちの帰国後、明治政府が医師たちに費用を請求するよう通知したところ、もともと費用を請求するつもりはないと断った手紙が発見されたという、無量寺も見学させていただきました。
その時の手紙には以下のように書かれています。(17話でも紹介していますが)
本日、 閣下より薬價・施術量の清算所を調成して進達すべき旨の通牒を本村役場より得たり。
然れども 不肖 素より薬價・施術料を請求するの念なく、唯唯 負傷者の惨憺を憫察し、ひたすら
救助一途の惻隠心より拮? 従事せし事 故 其の薬價治術料は 該遭難者へ義捐致し度 候間
此の段 宜敷く御取り計らい下さりたく候也。
そして、いよいよ映画撮影現場の見学。その日は、傷の癒えたトルコの兵隊が串本を離れる時のシーンや、遺品を綺麗に洗って繕っている串本の農民・漁民たちの姿を撮影されていました。撮影現場でお茶をいただき、出番を待っているエキストラのみなさんともしばしお話をさせていただきました。
田中監督もわざわざお顔を見せていただき「沼田さん、高星さんが来ているならエキストラで出てもらえばよかったね、トルコの撮影のエキストラはどう?」などと冗談とも本気ともとれる話をしました。
さらに今回の旅では、エルトゥールル号の遺品の発掘をされている海洋考古学者のトウファンさんご夫妻にも会わせていただきました。ちょうどその日の調査が終わって戻ってくるところを港でお待ちしていてトウファンさんご夫妻に会うことができました。さらにそのあと、奥様のご案内で、遺品を綺麗に洗浄して、一つひとつ台帳に記入し整理されている作業場も見せていただきました。当時の火薬は固まってしまっているものの、いまだに硫黄のような火薬のにおいがしました。125年の歳月を経過し、しかも海の底に沈んでいた火薬が火薬のにおいを放っていることに感慨深いものを感じました。
2回目の串本訪問で、今回はゆっくりとエルトゥールル号ゆかりの場所の見学をさせていただいたり、貴重な撮影現場を見させていただき、さらには遺品引き上げの様子まで見せていただきました。串本町役場の皆様にも大変お世話になりました。
そして何よりも印象的だったのが、映画の撮影現場の炊き出しをはじめ、串本町の人達がエルトゥールル号の事について本当に大切にしている姿に出会えたことでした。
エルトゥールル号のこと、そしてテヘランにおける邦人救出の事がもっともっと多くの人に知られ、それこそNPO法人の設立趣旨にある世界平和につながれば素晴らしいなと思いつつ、帰京の途に就いたものでした。
この旅のなかで、串本の民話の会の皆様のエルトゥールル号の紙芝居の絵をロイヤルホテルで見せていただきました。そして沼田さんから「私たちもテヘランの話を紙芝居にできたらいいな」という話が持ち出されました。その後の顛末はそのうち書かせていただきます。
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