「海難1890」は第39回日本アカデミー賞で2部門の最優秀賞を受賞いたしました!これからも「特定非営利活動法人 エルトゥールルが世界を救う」は、トルコと日本の時空と民族を越えた相互協力の精神をテーマとした映画製作を通して、アジアから世界平和へのアピールを発信しています。

第9話 『なぜ、日本は救援機を出さなかったか?その真実を知る』 

2012年3月19日 沼田凖一

1985年3月19日、テヘランから私を含む215人の日本人を救出したのが、トルコ航空だった事から、なぜ日本が救援機を出さなかったのかについて暫くの間論議が有りました。ここに、1985年4月3日の参議院会議録情報 第102回国会 外務委員会 第4号と、2007年10月28日中近東文化センターで行われた、シンポジウムでの関係者の発言内容を紹介します。この二つの議事録を比較熟読する事で何が真実だったのかが読み取れると思います。

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「昭和60年4月3日(1985年) 参議院会議録情報 第102回国会 外務委員会 第4号」

イラン・イラク戦争に関して少し具体的な、イランからの邦人の脱出の問題でございますね、これについて伺いたいと思います。御承知のように、イラクのイラン上空の封鎖宣言というのですか、あれは十何日ですか、以降イランの上空を飛ぶ飛行機はイラクの攻撃の対象になるというような封鎖宣言がされて、報道によりますと、数百人の邦人がテヘランの飛行場に切符を求めて殺到して一種のパニック状態になったというような報道がされているわけですが、そして結局、日航機は救援に結果としては行かなかったということになったわけでありますけれども、まずその辺の事情について全般的に承りたいと思います。

政府委員(谷田正躬君):

概略、テヘランにおける状況を御説明申し上げます。

宮澤弘君:

簡単で結構です。

政府委員(谷田正躬君):

イラン、テヘランに対する爆撃が三月の十二、十四日と行われまして、その時点で大使館といたしましても、できるだけ邦人の引き揚げをすることを勧奨いたしまして、十六日に大使館と日本人会との間の会合におきましてその旨が伝えられたわけでございます。ただ、その当時におきましては、まだ各国からテヘランに乗り入れている民間航空会社は全部動いておりまして、かつ、三月の二十一日からイランのお正月が始まるということで、邦人の方のかなりの数が既に休暇ということでこういった航空会社の切符を予約しておられる方が相当ございました。そういうことで、この時点におきましてはまだ事態は平静であったわけでございます。

ところが、十七日、今御指摘のように、イランの空域を閉鎖するというイラク側の警告が発せられまして、ただこの時点におきましてもまだ十八、十九日と二日間あるからということで、まだ平静であったわけですが、ただ予期されませんでしたことは、十八日になりますと、今まで乗り入れていた各国の定期便の会社が一斉に便を取りやめるということが十八日に既に起こってしまったわけなんですね。空域閉鎖は始まりますのが二十日の夜の八時からということだったわけですので、皆さん一応十八、十九とまだ二日間の余裕があると思っておられたわけなんですが、それが実は予期しない状況に立ち至って、そこで一種のパニック状況というものが起こってまいったという状況がございました。

それで、政府といたしましては、実は十六日ぐらいの段階からもう既にいろいろな方策を検討しておりまして、そのための方策といたしましては、まず既に乗り入れている各国の定期便を使用するということ、それからそういった国からのチャーター便も派遣できないかということも検討するというのが第一点。それから、イラン航空機をさらに増便ないしはチャーターするということ。それから、日航機の特別機を派遣するということも一つございましたし、それから最後の場合には陸路を伝って脱出する。こういったいろいろな方策を検討しておったわけでございます。

したがいまして、各国の航空機が十八日全部一応取りやめになったという段階におきましては、我々といたしましても、早急にこの日航機派遣という状況も踏まえて、日航側との連絡も行ってまいりましたし、現地での状況というものもその辺を踏まえて検討するようにという指令は出してあったわけでございます。

ところが、十九日になりまして、またこの各国の航空機からそれぞれ救援機というような形で再び便が復活いたしまして、その中でも特にトルコ航空が我が方からの要請を受けて特別に一台大型機を増便するという形になりまして、これに日本人を優先的に乗せるという話が出てまいりました。結局十九日の午後になりまして、これは先ほどのイラクの警告のぎりぎりの時間でございましたけれども、二機がアンカラから参りまして、これに邦人が脱出希望者はほとんどすべて乗れるという形になりましたので、そういう状況がこちらでもすぐわかりましたものですから、日航機の緊急派遣という必要はなくなったというふうに判断されたわけでございます。

外務大臣(安倍晋太郎君):

ちょっと申し上げますが、日航機は派遣の準備は全部整っておりましたし、最終的にはイラン、イラク両国の領空の安全についても、両国政府からこれを保障するという連絡があって、いつでも飛び出せるという形になっておったわけですが、結局その必要がなかったわけでありまして、私は宮澤さんにもたまには日本の外交も褒めていただきたいと思うのですが、これは日本の外交の一つの大きなこれまでの積み重ねの成果であったと思うんですよ。

というのは、トルコが特別機を出したということですね。今回のテヘランのああした脱出事件で、これは日本だけじゃなくて、各国とも在留の人たちは脱出していったんですが、特別機を出したというのは、それも日本のために出したというのはトルコ航空だけでありまして、これはやはりトルコと日本のこれまで積み重ねた外交の成果であったと思いますね。トルコに対するこれまでの日本の援助あるいはまた伝統的な日本とトルコとの友好関係、そういうものを背景にいたしまして、現地における野村大使とトルコの大使との間で非常に親密な友情関係がありまして、そういういろいろの要素が重なりまして日本側の要請に快くこたえて、ああした困難な情勢の中でトルコは自分の国の人たちよりも日本の在留邦人を最優先して特別機に乗せていち早く脱出させてくれたということであって、まさにこれはこれまでの日本の外交が、そうした努力を積み重ねてきた現地の大使等の非常な涙ぐましい努力、そういうことに基づくものであって、私と してはこれはよかったというふうに大変喜んでおるわけであります。

政府委員(谷田正躬君):

日航救援機の派遣の点につきましては、確かに準備は我々としては万々怠りなく東京におきましては日航側と協議してやっておったわけでございますが、これをいつ、どの時期で派遣するかという問題は、確かに非常に微妙な問題であったと思います。

特に日航機の場合には既に今度のイラン・イラク戦争発生八〇年の時点から定期便の乗り入れを取りやめておりまして、現地に全然日航の駐在員がおらないわけでございます。それで、新たにこういった事態の中で日航機が飛ぶということになりますと、安全保障の問題もありますし、それからイラン空港の施設の使用というような点につきましても、あらかじめイラン側とこれを了解に達しておかなければ問題が起こるということもございまして、我々としては確かにその点につきまして大使館側とは十分にその辺の時点の判断を誤らないようにということは打ち合わせてはあったわけでございますけれども、現実の問題としてテヘランの方から、先ほど申しましたパニック状況が起きてやはり日航機を派遣してくれと言ってまいりましたのが十八日の夜中近くなってからでございまして、その点、それからイラン、イラク側に実際の安全保障の取りつけについて働きかけを行うということを始めた関係で、若干その発動がおくれたかなという感じは持っております。

結果といたしまして、先ほどからのお話のように、トルコ航空がチャーター機を出したということで無事脱出できたわけでございますけれども、我々としてはその点ちょっとワンポイント立ちおくれたかなというような感じを率直なところ持っております。

外務大臣(安倍晋太郎君):

日航としましてもそれなりに、我々が要請しましてから最大限の努力をしたと私は思います。ただ戦火の中へ飛び込んでいくわけですし、今ルートがないわけですから、そういう点でいろいろと日航内部の調整等もあったし、あるいは現地の領空の空域の保障といった問題等もあって、これは日航としても私はなかなか大変な決断であったと思いますが、全体的には全面的協力という線を打ち出してもらったことは大変日航側に感謝をいたしております。

しかし、こういう問題はただ日航と政府とでがたがた交渉するということじゃなくて、先ほどから申し上げました、政府が政府の決断でぱっと行けるというふうな、そういう態勢をやはりこうした非常事態にはとれることが、今の日本で、これだけ海外に日本人が活動しておられる状況では非常に大事なことじゃないか、こういうふうに思っております。

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「2007年10月28日に中近東文化センターで行われたシンポジウム 『イランからの脱出~日本人を救出したトルコ航空~』」 (アナトリアニュース121号より)

駐イラン野村大使:

私がテヘランに着任したのは1983年で、この戦争は国境沿いで行われていたため、開戦直後に空襲が一度あった以外、テヘランは平穏でした。イランは、「仕掛けられた戦争を終わらせるためには仕掛けた指導者への処罰が必要である」という立場を取っていましたが、国際世論はイラクに対して同情的でした。その中で日本政府は、公正かつ中立な立場でイラン・イラク戦争に対して仲介の労をとろうとしており、イラン政府からもそれを評価されていました。

85年3月5日頃から両国の都市攻撃が開始し、戦火は次第に激しさを増していきました。12日未明、イラク機3機がテヘラン市街を空爆、それが日本人学校の先生宅の2軒隣に落ちて5人の死者を出したことは、日本人社会に対して大きな衝撃を与えました。攻撃の激化が予想されたため、私は16日に避難勧告を出しました。

翌17日、フセインがイラン空域を戦争空域として宣言、民間航空機も全て撃ち落とすという歴史的にも類を見ないような声明を出し、これが邦人脱出の大きな根本原因になりました。

在留邦人の生命財産の保護は国の主権として大使館の一番重要な仕事のひとつで、私の脳裏を一刻も離れることのない問題でした。外国は自国民が外国でクーデターや災害等に巻き込まれると救援機や運輸機で自国民を救出する慣例がありますが、日本は55年体制論争が続いており、当時、救援機や政府の専用機を所持していませんでした。

17日にフセインが出した「イラン戦争区域宣言」を受け、私はただちに日本へ救援機派遣申請を出しましたが、本省から、救援機派遣にはイランとイラク両国の安全保障の確約を現地で取得するよう指示がありました。民間航空機の乗務員の安全確保が優先されたからですが、そのような確約は不可能でした。

さて、当時テヘランでの外交活動は非常に緊密で、私は各国大使に会う度に、「万が一のことがあったら貴国の航空機に日本人を乗せてほしい」と依頼しますと、各国大使は、「もちろん喜んで。しかし、自国民が優先ですから、空席があれば日本人を乗せてあげましょう」と言ってくださったものです。その大使仲間で私が最も親しくさせて頂いていたのが、トルコのビルセル大使です。ビルセル大使は83年の私と同じ日に着任し、信任状を奉呈し、外交団は着任順に序列が決まるため、私とビルセル大使は外交官の行事があれば必ず隣になりました。

イスラームの革命を欧米の国々は偏見を抱いているようでしたが、トルコは革命の現実を直視し、また、公正かつ公平に見ようと努めていました。ビルセル大使とは仕事上の情報交換をしたり、プライベートでも家族ぐるみのお付き合いがありました。私はビルセル大使に、「何かあったら頼む」と、会う度にお願いした記憶があります。

さて、フセインの言うタイムリミットの前日の18日夕方、ビルセル大使から、「明日、トルコ航空機が2機来る。空席があるから日本人の搭乗希望者数を教えてほしい」という電話がきました。その頃は大分空襲が激しくなっていたので、在留邦人は郊外の温泉地のホテルや、テヘラン市内の高級ホテルの地下室等に避難していました。

大使館員は翌19日の明け方までかけて手分けして邦人の居所を探し、希望を募りました。そして19日の晩に2機、一つは19時15分、もう一機は直前の20時頃飛び立ったのです。この戦争に直結する邦人の犠牲者は、日本政府の手を離れ第三国のタンカーに避難し雇われていたところ、ペルシャ湾で砲撃にあわれた方一名でした。その他に犠牲者が出なかったことは、私には大変幸いでした。本当にトルコ政府とトルコ航空のおかげだと感謝しております。

駐イラン野村大使:

全員に連絡が取れたかどうかはわかりませんが、知人にも伝えるよう依頼し、搭乗者数を把握できたのは19日の未明でした。

駐イラン野村大使:

残ることは義務ではありませんでしたが、大使館員49名と共に残りました。民間企業の方でも、支店長など主だった方達は、安全である限り残っておられました。帰られた方の中にはノイローゼ気味になってしまい、休暇をかねて帰られた方もいらっしゃいました。

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この二つの議事録から明らかなように、日本政府、外務省は全く現地の状況を把握していなく、嘘八百を並べたいい訳の答弁を繰り返していることが良く判ります。そして、マスコミもまた外務省の言い訳けの答弁を鵜呑みにして報道していただけなのです。全く腹立たしくも、情けない日本側の対応がよく判ります。これが真実です。。

こちらの記事は、トルコ・イタリア・ポルトガル雑貨のオンラインショップ「JUNPERIAL SHOP」様がホームページで掲載されている、『イラン・イラク戦争 奇跡の救出劇「~日本・トルコ友情物語~ -沼田凖一さん編-」』から、店主のJUNKO様のご厚意により転載させていただいているものです。

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