2023年2月6日に発生したトルコ地震の被災者支援のため、義援金を受け付けています。義援金は駐日トルコ共和国大使館(東京)を通じて全額を寄付いたします。

第26話 『エルトゥールル号125周年追悼式典(2015年6月)』

 1890年トルコの特使オスマンパシャの乗る軍艦エルトゥールル号が、明治天皇に謁見し帰国の途、和歌山県紀伊大島樫野崎にて台風により遭難して125年。5年ごとに行われる追悼式典に参加してきました。
 今年は洋上慰霊式典のためトルコからはるばる軍艦もやってきたのですが、式典の日は台風を思わせる雨と風、式典は大きく変更を余儀なくされました。それでも125年前の串本樫野の人達の献身的救助活動、そしてその恩を忘れないトルコの人々、そして1985年イラン イラク戦争が激化する中、日本本国からの救援はない中トルコの救援機が215人の邦人救出を行ってくれた素晴らしい歴史をまた実感し、涙涙の串本行きとなりました。

感動的な皆様からのお言葉、ご挨拶、追悼文を掲載します。 涙にかすむ目で一生懸命メモを取りましたが、一言一句までは正確ではありませんが、大意は外していないと思います。

6月2日、今回の串本訪問は新幹線で新大阪まで行き、くろしおに乗って串本に向かいました。
8:18串本町に着きHTLへチェックイン。その後串本町文化センターで行われたトルコ軍楽隊(海上自衛隊呉音楽隊共演)のコンサートに参加しました。大音響のトルコ軍楽隊でした。
6月3日慰霊式典の日、雨です 風もかなり強いです
洋上慰霊式典は中止となり、陸上慰霊式典も殉難将兵慰霊塔前から串本文化センターに変更して行われました。

<串本町文化センタで行われた慰霊式典>
彬子女王殿下お言葉(要旨)
125周年追悼式典の開催に感謝します。125年前に犠牲になったエルトゥールル号の乗組員の家族の皆様に哀悼の意を表します。
1890年の起きた痛ましい事件にたいし大島島民の皆様が献身的看護をされました。明治天皇のおぼしめしにより救助された兵士たちが、金剛・比叡によってトルコに送り返されました。このことを記念して日本トルコ友好の初年度とされました。
この両国の絆が1985年のテヘランにおける邦人215人の救出につながりました。3年前にお隠れになった父(寛仁親王殿下)は「海の恩の空で返すとは粋なことをするな」とおっしゃっていました。
5年前2010年の日本トルコ友好120周年記念式典にも父とともに参加致しました。手術によって声が聞きとりにくくなってしまった父は、私にお言葉の代読を申し付けました。考えてみればあの時父は「トルコのことは宜しくたのむよ」と私に言っていたのかもしれません。
 時間の流れは時に残酷です。時の流れによって忘れ去られてしまうことがあります。でもトルコでは学校の授業でもエルトゥールル号の事を教えてくれて、串本のみなさんも5年ごとにこのような事業をやってくれております。
 お集まりの皆様と一緒に、先人たちの心を紡いで、130周年140周年と心をつないでいきたいと思います。

慰霊式典 トルコ国民大議会議長あいさつ(要旨)
125年前に起きた事件によって遭難いたしましたことが友情の発端となっております。トルコ国民を代表して日本国民の皆様に感謝の気持ちを伝えたいと思います。
 1887年小松宮殿下がトルコにお立ちよりになり、勲章をいただきました。その返礼として勲章 親書を携え明治天皇に謁見し帰国の途中、串本で事件に遭遇しました。オスマンパシャ以下532名が死亡しました。このとき大島島民が献身的救助に当たってくれました。大きな軍艦が遭難するような天候の中ですから、その救助はとても困難を極めたと思います。危険をおしての救助活動に感謝をいたします。
 トルコ民族の一員として、島民の勇敢さを忘れることはありません。食べ物を与え、介護をしてくれて、亡くなった人に対しては慰霊をしてくれました。義援金も集めてくれました。そして救助した兵士をトルコに送ってくれました。
 兵士をトルコに送ってくれた軍艦比叡・金剛の名をトルコ軍艦ゲリウスの2つのサロンに命名することとなっております。
69人と救助された兵士たちは日本人の事を広くトルコの中で伝えました。したがって我々はこの不幸な出来事が友情の発端になったと考えます。
 殉難将兵の慰霊碑の清掃をしてくれている、大島小学校 大島中学校の校長先生、先生方、生徒の皆さんに感謝します。
 トルコと日本の友情の映画も間もなく出来上がります。エルトゥールルのエピソード、テヘランから助けられた人々のエピソード、友情が深まると思います。
 トルコと日本の深い友情は、2013年に戦略的パートナーシップの締結となりましたし、国交90周年にもなりました。世界平和と安定のために貢献している両国です。
 目指すものはこの友好協力関係があらゆる場面で発揮されることでしょう。
最後に、この串本・日本の皆様に感謝いたします。祖先の大切な思いを将来につなげ、日本の祖先に安らかならんことを祈ります。

田嶋串本町長の挨拶
ここ串本町樫野崎の地で彬子女王殿下のご臨席の元日本トルコ友好125周年記念式典が開催されますことをうれしく思います。オスマンパシャ以下英霊に哀悼の意を表します
 6月3日は昭和天皇が樫野崎に行幸をされて、殉難将校の慰霊碑に会釈を賜った日であります。
今日は両国の友好関係を願う人達と集い英霊に頭を下げるとともに関係の人達の悲しみに思いをはせています。
(トルコ語で)「勇敢なエルトゥールルの英霊たちへ、あなたたちが命をかけて築いた友好を引き継いでいくことを誓います。死してなお、日本トルコ友好の礎になっている皆様に敬意を表します。」

トルコ海軍総司令追悼文
この海で永遠の眠りについた殉難将兵に哀悼の意を表すためにこの地にきました。殉難将兵に思いを寄せるこの式典に臨み、幸せ・悲しみ複雑な思いで心は悲しみに包まれます。
トルコと日本の友好のために海軍が向かい、遠く祖国から離れたところで日本トルコの永遠の友情の礎になった将兵は将来の道を示しています。
 エルトゥールル号が遭難し、日本海軍が示した寛大さ、島民の献身的救助、日本の勇敢な国民のことはトルコ国民の胸に刻まれています。 日本人はトルコ人にとって特別な民族です。日本国海軍に感謝します。
 6月3日は昭和天皇陛下が会釈をいただいた感謝の日です。
兵士は、あなたたちをわが子のように大切にしてくれる日本の人達の元で安らかに眠ってください。
 関係された各位に感謝を申し上げます。

海上自衛隊幕僚長 竹井海将追悼文
587柱に哀悼の意を捧げます。大役を果たされた後に串本にて遭難し海底深く沈みました。
元より、海軍は千変万化の中で働き、国家国民を守ることを職責としております。エルトゥールル号も職責を果たし帰国するところでありました。
 今、祖国を遠く離れた国に眠ることを考えると同じ職責の者として万感の思いを致します。
 大島島民の皆様が献身的な救助活動をされたこの行動は変化する環境の中で両国を結びつける礎となってきました。
 水平線の向こう1万キロメートルにエルトゥールル号の祖国はあります。今の平和な友好がエルトゥールル号の英霊と島民の力によって築かれているのです。
これからも日本トルコのために働く所存です。最後にこの日本トルコ友好125周年記念式典の開催に当たられた皆様に感謝申し上げます。

今回トルコ国防省からエルトゥールル号の銅像が贈られ除幕式が開催されました。串本ロイヤルホテル内に設置されています

贈呈側 メリチ 駐日トルコ共和国全権大使挨拶
(日本語で)串本町はトルコと日本の友好に取って特別なところです。エルトゥールル号遭難から125周年という節目の年に当たり、トルコ国防省から友情の新たなシンボルとして銅像を送ります。串本町との末長い友好を祈念し挨拶とします。

田嶋串本町長謝辞
彬子女王殿下のご臨席の元、除幕式ができたことは町民の喜びであります。
尽力いただいたトルコ政府、トルコ海軍 関係者の皆様に感謝申し上げます。エルトゥールル号の遭難から125年、追悼を通じて両国の友好を発信する活動をこれからも続けてまいります。
樫野崎には慰霊碑、記念館などがありましたが、本土側にはありませんでした。トルコ国防省からエルトゥールル号の銅像が贈られる打診があった時この場所への設置を調整させていただきました。樫野崎を望むこの地に設置され、エルトゥールル号の舳は樫野崎に向けられています。
 日本語で「船出」という言葉には「出港」という意味の他に「新たな出発」という意味があります。この銅像が日本とトルコの新たな友好の船出となることを祈っております。

 串本町文化センターでの慰霊式典、串本ロイヤルホテルでのエルトゥールル号の銅像の贈呈式と記念事業は進み、19時30分からは駐日トルコ大使館・串本町主催による「日本トルコ友好125周年祝賀レセプションが開催され、この席にも参加させていただきました。
 彬子女王殿下も臨席され、大勢の日本トルコの関係者が日本トルコの友情を確認する場となりました。レセプションの途中では、製作中の映画「海難1890」のプロモーションビデオの上映も実施されました。

 翌6月4日は昨日とは打って変わって快晴となりました。式典が今日だったらなと悔しい思いを感じつつ、朝のうちに串本を離れ、紀伊勝浦で途中下車をして浦島温泉ホテルにて温泉と海の幸を堪能させていただき帰京しました。
次は130周年、その場にまた自分はいられるのかなと思いつつ・・・

 蛇足ではありますが、6月3日 朝5時から洋上慰霊式典受付に望みましたが・・・悪天候で中止の張り紙・・・  
この後ホテルの露天風呂に行きました。風呂の水が風で横に飛んでくるような環境で、外国人が入浴していました。クレージーなお方と思い話しかけたら・・・なんとパキスタンとアゼルバイジャンの駐日大使でした。「船には乗れなかったけど、いい風景を見ながら温泉に入れて最高、 雨?雨の中の温泉もいいじゃないか」とおっしゃっていました。

トルコ海軍から贈られたエルトゥールル号の銅像前で沼田夫妻と

こちらの記事は、トルコ・イタリア・ポルトガル雑貨のオンラインショップ「JUNPERIAL SHOP」様がホームページで掲載されている、『イラン・イラク戦争 奇跡の救出劇「~日本・トルコ友情物語~ -高星輝次さん編-」』から、店主のJUNKO様のご厚意により転載させていただいているものです。

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