2012年12月8日 沼田凖一
話が少し前後する事になりますが、串本町「ふるさとのまちづくり支援寄付」への寄付によって串本町の新聞社各社から取材の依頼が有りました。その新聞報道から情報が広がりNHK和歌山放送局のF記者の目にも止まりました。
早速F記者から取材の依頼が有りました。F記者は「2010年トルコにおける日本年」に向けて日本とトルコの友好の絆が如何にして育まれて来たかを、出来るだけ関係した人々の証言を映像にしたいと考えていた様でした。そんな折、私がイラン・イラク戦争に巻き込まれ、トルコ航空で救出された日本人の一人で、串本町に感謝の気持ちから寄付をした事を知り、このエルトゥールル号遭難事故からトルコ航空による日本人救出迄に関わって来た人々を通して、日本とトルコの友好の軌跡などを含め、未来へ向けた両国の姿を描きたいと私に取材を依頼して来たようでした。
取材前の打合せの中で、私からイラン戦友会の話をした所そのイラン戦友会の集まりの時にも取材出来ないかと言う事になり、たまたま、東京日比谷公園内のレストランでイラン戦友会と中近東事業部OBの懇親会の計画が有りましたのでその時にも取材してもらう事になった訳です。
取材は最初に私一人だけで、翌日イラン戦友会・中近東事業部OB会の2回に分けて行われました。私一人でのインタビューでは、1985年3月19日の時の状況と心境をF記者が質問をし、それに私が答えて行くと言う形で行われました。私はその中で、当時の事を話している内に感情が込み上げて来て涙があふれ言葉を続ける事が出なくなってしまいました。この感情はきっと体験した者だけが持っている消し難い感情ではないでしょうか。暫く時間をおいて、ようやくその後のインタビューが続けられました。この時のインタビューの映像が、後に和歌山県や関西地区に放映された事から多くの皆さんにトルコが私達にして下さった愛情溢れる行動を知って頂く事が出来ました。翌日は在日トルコ共和国大使館での取材と、イラン戦友会・中近東事業部OBの懇親会の様子を取材してくれました。
NHK和歌山放送局から話が有って間もなくして、トルコ関係団体の方(現在はこのショップの店長さん)からお声が掛り、お伺いさせて頂きました。私は日本にこの様な団体が有る等とは全く知りませんでした。この団体が日本に有ると言う事は、日本とトルコの友好関係が相当に浸透しているんだなぁと強く感じました。トルコ関係団体に伺わせて頂いたこの時も、テヘラン脱出当時の事を出来るだけ率直に話しをさせて頂きました。
この時の内容を早速トルコ関係団体の機関誌に載せて下さいました。その記事の一部を抜粋させて頂きます。『このように、およそ120年前に起きたエルトゥールル号遭難事故での大島の人々の愛情あふれる行為から始まり、今日までなお″善意の連鎖″は続いているのです。この一連の出来事から、我々の行動というのは目先の利益や結果を生むだけでなく、時代を超えて影響を与え得るということに気付きました。それならば、今この瞬間から自分の言動に責任を持つべきだろうなと、歴史の中で生きていることに感慨を覚えるのでした。』と記述されています。この事は今まで続いて来て、これからも未来永劫続いて行くのだという事、続けて行かなければならない事だと思いました。
私はその渦中にある一人として当時体験した事、心境を後世に語り継いでいく責任が有るのだとの気持ちを強くした出会いでした。
私は助けられた215人の日本人の中でも、特別素晴らしい出会いをさせて頂いたものだとつくづく思います。