2013年5月11日 沼田凖一
串本町での2010年6月3日から5日の「日本トルコ友好120周年事業」に出席させて頂いて、帰宅して間もなく、和歌山県海南市の作曲家・指揮者の向山精二さんから連絡がありました。向山さんは和歌山県の「北六班の歌」「幻想組曲粟嶋神社」「高野山の四季」「紀伊の国交響組曲」等を作詞・作曲された方で和歌山県、関西地区に於いてコンサートを開催している方だと言う事でした。
向山さんは最近になって、エルトゥールル号事故の事を知り、これはすごい事だ、和歌山県の先人がした素晴らしい人間愛の行動を音楽にしたいと思い立ち、「紀伊の国交響組曲第四楽章」に「エルトゥールル号の乗員に捧げる曲」「友情・エルトゥールル号の軌跡」を追加作詞作曲し、関西地区を中心にコンサートを開いていました。
エルトゥールル号の出来事について勉強するうちに、このエルトゥールル号の事故が日本・トルコ両国を深く結びつける事になり、それから95年後の1985年3月にトルコ航空によるテヘランからの日本人救出劇が有った事を知りました。これが両国の「友情」を更に深めた事を知り、この事を音楽にして日本とトルコの友情を広く伝えて行きたいと考え「友情」その1「九死に一生」を作詞・作曲したそうです。
そんな折、たまたま私が串本町の「日本・トルコ友好120周年事業」に参加し、私達がトルコ航空で助けられたのは、エルトゥールル号の事故の時、串本町大島の人達が中心に献身的な救助活動をしてくれたお陰でしたので会場においでの皆さんにお礼を言わせて頂きました。
その事が後日、和歌山県で報道されましたので、向山さんは私がトルコ航空でテヘランから助けられた日本人の一人である事を知り、コンサートの休憩時間に音楽の好評と当時の事を話してもらえないかとの依頼が有りました。私としては、トルコが私達日本人にして下さった家族愛にも勝るとも劣らない友情で助けてくれた事を多くの人に知って頂けるので有ればとの思いからこの申し出を受けさせて頂きました。
このコンサートは大阪・ザ・シンフォニーホールを皮切りに東京・サントリーホール、トルコ・メルシン、アンカラ、イスタンブール・アヤイリニ教会で行われました。私はこのうちの東京・サントリーホールとトルコ・イスタンブール・アヤイリニ教会のコンサートに参加させて頂きました。
イスタンブールへの訪問は実に私がトルコ航空で助けて頂いてから25年経った2010年7月27日でした。向山さんのお陰でトルコへのお礼をさせて頂く機会を頂いた訳です。会場には1200人を超えるトルコの方が来られている中でお礼を述べさせて頂きました。こんな幸運な事は滅多に有るものでは有りません。
更にサプライズとして、1985年3月19日私達を助ける為に来てくれたトルコ航空の機長だったオルハン・スヨルジュさん、機関長のコライ・ギョクベルクさん、キャビンアテンダントのアイシェ・オザルプさん、デニス・ジャンスズさん、ナーザン・アキュンレルさん、そして、森永さんが壇上にお上がりになり私と握手をしてくれたのです。余りの突然の事で私の頭の中は真っ白になってしまいました。
翌7月28日には、在イスタンブール日本国総領事公邸でオルハンスヨルジュ元機長他何名かの元トルコ航空の方々とお会い出来る事になっていましたので、まさかコンサート会場でお会いする等とは夢にも考えていませんでした。コンサートの翌日には予定通り日本国総領事公邸で元トルコ航空関係者の方々、森永さんとお会しました。
正に私達の命の恩人達です。この夢の再会は、在イスタンブール日本国総領事館総領事と副領事で、私の様な者の為に公務でお忙しい中、色々奔走して開催して下さいました。何とお礼をしたら良いか判りません。私はこんなにも多くの皆さんに助けて頂いて、命の恩人の方々にお礼を言える場を作って頂いたのです。この日は日本に帰国する日です、ここで感じたこの思いをしっかりと心に刻み決して忘れない様にしなければいけないそんな思いを強くしたイスタンブール再訪問でした。
皆さん本当に有難うございました。