2011年09月23日 高星輝次
1985年2月半ばのことだったと記憶している。その週は道路交通省のメカニックの人たちに車の整備を教えるトレーニングのため、毎日テヘラン南西部の道路交通省のワークショップに出向いていた。
メカニックはイラン全土から招集されて来ている、20人ほどのメカニックに対する研修である。 研修生は昼休みになるとみんなでサッカーに興じている。敷地内のコンクリート舗装されたところで靴を脱いで、はだしでサッカーを始めるのである。研修の通訳をしてくれているN商社の現地スタッフのダブード君によれば、「革靴で来ているから、靴が痛むから靴を脱いでサッカーをしているのだろう」という。
それにしても裸足でコンクリートの上を駆け回り、ボールを蹴るのだから面の皮ならぬ足の裏の皮の厚い人たちである。私とダブード君はそんな研修生を横目に見ながら道路交通省の敷地内を散歩していた。
その時である、私たちの鼓膜を引き裂くような鋭い金属音に襲われた。よろけるように空を仰ぐと銀色に光る戦闘機がかなりの低空飛行で頭上を過ぎて行った。こんな低空飛行で飛び立っていく戦闘機はイラン空軍のものだと何の疑いもなく手を振って見送った。
実践に配備されている軍用機には国籍を表すマークなどは貼られてないことをこの時初めて知った。 そしてその日の研修が終わって自分たちの事務所に戻る車の中で、ダブード君は「テヘランの西にあるカラジダムの発電所が今日爆撃された。多分さっき見たのはイラクの戦闘機だったのだろう」と教えてくれた。
実はこの一件が私にとってのトラウマとなったようです。日本に無事逃げ帰ったあとずいぶん長い間、銀色の機体の戦闘機に追いかけられて土漠の大地を四つん這いになって逃げ回る夢を見ました。
実際の体験では一瞬にして私たちの頭上を越えて行った戦闘機ですが、夢の中で出会う戦闘機はものすごい音を立てて飛んでいるのにいつも私の後ろ側にいて、私にめがけて機銃を撃ってくる。私はと言えば、夢なんてそんなものですが必死になって逃げるのになかなか前に進まない。土漠はいつも土手の様な上り坂、必死に、必死に四つん這いで逃げる夢にうなされました。
でもその時はまだこれがテヘラン空襲の序章であることとは思いが及ばず、緊張感の高まりもなければ、国外に脱出しなければなどという考えには一切結びつかず、毎日の仕事に没頭していたのです。