2011年09月23日 沼田凖一
タイムリミット一日前の3月18日になっても乗せてもらえる飛行機は一向に見つかりませんでしたが、思いもしなかった朗報が入って来たのです。それは、私達が技術指導していたKD工場の一社、ザムヤッド社の技術指導に来ていたスエーデェン・ボルボ社の技術者がバスでトルコに脱出するので皆さんも一緒に行きませんかと誘ってくれたのです。
私達は直ぐに荷物をまとめて、待ち合わせ場所に駆け付けました。しかし、私達は車では国外に出る事は出来なかったのです。それは、私達は飛行機で国外に脱出する事ばかり考えていましたので事前の出国手続きをしていなかったのです。ですから、このバスでトルコに脱出しようにも国境を越える事は出来ないのです。折角のチャンスを泣き泣き諦めるしか有りませんでした。
そしてとうとう3月19日、タイム・リミットの日がやって来てしまいました。それでもN商社の社員はその日もヨーロッパ航空会社に私達の為に席を分けてもらえる様頼みに回ろうと、夜の明けるのを待って起きていてくれたのです。 すると、夜明け前に日本大使館からトルコが救援機を出してくれるとの情報が飛び込んで来たというのです。
皆小躍りして喜びました。しかし、冷静になって考えてみると、どうしてトルコなのか判らない、日本からの救援機は来ないし、ヨーロッパの飛行機にも乗せてもらえないし、信じられない、そんな気持ちでした。しかし、考えていても仕方が無い、兎に角行ってみようと云う事になり、N商社の社員の一人がトルコ航空テヘラン支社にチケットを買いに走りました。
その間私達は何時でも空港に行ける様に荷物をまとめ、玄関横に並べて、トルコ航空に行った人からの連絡を待ったのです。しかしなかなか連絡が来ません。朝6時にホテルを出て、10時半ごろようやくチケットが買えそうだという一報が入ったのです。早速N商社の社有車で空港に向かったのですが、日本人が空港に向かった丁度その頃、各国の取り残された人達は自国の救援機に乗る為に空港に押し寄せたのです。
空港敷地内はかなり広いのですが、ものすごく多くの人が集まって来たので、大混雑に成り、空港ビルに辿り着くのは容易では有りませんでした。 やっとの思いで空港ビルにたどり着いたのですが、肝心のチケットを買いに行った人が帰って来ません。結局、チケットを買いに行った人が空港に着いたのは午後2時過ぎです。
ここからようやく荷物チェックです、ここでもまた時間が掛りました。それは一人一人のスーツ・ケースを開けては中に手を入れ確認するのです。それが終わると次は、ショルダーバッグ、そしてハンドバッグと、全部中をのぞいて確認するのだから時間が掛る事この上有りません。 やっと荷物チェックが終わり、トルコ航空チケットカウンターでチェックイン、この時はイランでは今迄になかった位素早く処理してくれて、搭乗券を渡してくれました。
搭乗券さえ貰えばもう直ぐにでも飛行機に乗れる、そう思いました。ところがパスポートチェックが一向に進まないのです。ここでも又とんでもないトラブルが起こっていたのです。なんと、アエロフロートに乗ろうと空港に駆け付けた、ロシア人が事も有ろうにパスポート・コントロールの窓口2か所のうちの1か所を占拠してしまったのです。
こんな暴挙を許してはいけない、N商社の自動車部責任者が猛抗議をしてくれたのですが、多勢に無勢、全く聞き入れてくれませんでした。 結局、もう1か所の窓口に並んでパスポートチェックを受けるしか有りませんでした。トルコの様に外国人の日本人の為に救援機まで出してくれる人達がいる一方、手続き窓口を占拠し、自分達だけが脱出出来れば他の人はどうでも良いと云う人達がいるのです。私はこの時以来、ロシア人は大っ嫌いになりました。今も嫌いです。
こうした苦難を乗り越えて搭乗待合室にようやく辿り着いたのです、その時、爆弾かミサイルが爆発する様な「ドォーン」という音がしたのです。私はイラクからの爆撃が始まったと思い、ここ迄来て「だめかぁ!」と身体から力が抜けて行きました。 空港ビル内には悲鳴が上がり近くのテーブルの下に身を伏せるなど一時騒然となりましたが、爆発音は一回だけで、直ぐに場内アナウンスで子供と女性が搭乗ゲイトに案内され、皆ゲイトに走って行きました。
私はこの時、何で飛行機まで行ったか記憶に残っていないのです。タラップを駆け上がり機内に入り、座席に座って唯じっと出発を待ちました。機内はシーンと静まり返っていました。 暫くすると、滑走路に入り、そして滑走前のエンジンテストの音が「ゴー」と鳴り響き、滑走を始めました、ぐんぐんスピードを上げて、ふぁっと機体が浮き上がり離陸しました。機内に歓声と拍手が起こりました。飛行機はぐんぐん高度を上げて行き、眼下にテヘランの明かりが小さくなって行くのが窓越しにちらっと見えました。「ああ、助かるかも知れない」そう思いました。